今井一久(いまい かずひさ)

【顔写真】

生まれてから 高校時代まで

   下に弟、妹の3人兄弟の長男として、岐阜県の飛騨の下呂温泉の近くの萩原町でうまれました。人口2万人近くで、中央を飛騨川(木曽川の支流)の清流と、森と緑にかこまれた町です。父は、製材所に勤め、母は、農業、昔祖父は、明治から水力で製材所を経営していました。家のすぐそばが川で、父が、鮎やうなぎをとってきてくれたべました。家では、味噌やしょうゆもつくり、お茶も自家製でした。つけものがおいしく、特に氷の張った桶から出した漬物は最高です。今でも、家の前には漬物工場があり、赤カブ漬けなどをつくっています。

少年時代は、川や田でよく遊び、豊かな自然の中でそだち、中学校時代にはソフトテニスをして、県大会にも出場しました。

  高校は、白線流しで有名な飛騨高山の岐阜県立斐太(ひだ)高校に1時間半かけて汽車で通っていました。高山本線の列車から見る四季の自然のうつりかわりは、ほんとうにきれいなものでした。高山の冬は、とても雪が多く、高校では2月には、雪の芸術をつくったり、よく授業が雪かきに変わることもありました。マイナス17度を経験して、はく息の水蒸気が霜となって髪の毛につくこともあり、本当に「寒い」というよりは「痛い」というのが実感でした。

高山は、飛騨の小京都といわれ、その街並みや飛騨の匠といわれた、高山祭りの山車は本当にみごとです。よく、みたらし団子、飛騨の中華そばを、学校がえりにたべてかえったものです。

大学時代

  学校の教師になろうと、三重大学の教育学部の数学専攻に合格して、飛騨から津市の大学の安濃津寮に移り大学生活がはじまりました。家計が大変ななか親は、トマト栽培をおこなってしおくりを、奨学金と家庭教師のバイトで学生生活を送っていました。

テニス部に入り、又、寮の自治会の役員もしていました。テニス部は、長続きしませんでしたが、大学祭の実行委員や、教育学部の自治会の執行委員などを経験し、やがて政治や社会のことに目覚めていき、まじめでがんばる先輩を見て民主青年同盟にはいり、日本共産党にも入党しました。

  教育学部系の全国、東海のゼミナール活動で、あちこちの学生と交流し、数学教育や教育学など活発に議論もしました。

寮では、看護学校の寮などとの交流でコンサート、ダンスパーテイなどとにかく新鮮でした。

学費の値上げ反対の運動や有事立法反対運動、生協会館の実現運動など仲間と一緒にがんばりました。

教師として就職、やがて民青同盟、日本共産党の専従に

  大学卒業後、伊勢工業高校、伊勢実業高校、盲学校、河芸町立朝陽中学校の講師として、就職をし、数学の教師としてがんばりました。伊勢実業高校は、定時制で、昼間仕事で夜学校の生徒さんの実態や、盲学校では、障害児校で、親子さんの苦労や施設のわるさ、中学校では、ちょうど暴力事件など生徒が荒れていく実態もみて、教育の大変さを実感しました。

その後、民主青年同盟の専従となって、青年の要求実現のためにがんばってきました。結婚を機会に、日本共産党三重県委員会の専従として勤務をはじめました。

全国でもはじめての原発反対運動の党の宣伝組織者として、原発反対県民会議の結成にもくわわり、熊野灘に原発をつくらせない運動を南島町や海山町など人々と力をあわせひろげました。全国原発問題シンポジウムを三重大学の先生や各地の原発反対の団体ともちからをあわせ伊勢市の観光文化会館で成功させたり、新聞への意見広告運動、ポスターやステッカーなどを広げる運動にもかかわりました。

  特に、1987年のいっせい地方選挙では、原発反対を掲げて度会郡区から日本共産党の県会議員候補、知事選挙と一緒の補選にも出馬、1990年には衆議院2区の候補者としても奮闘しました。熊野灘に原発をつくらせない、静岡の浜岡原発の危険性を訴えてきました。

1990年からは、日本共産党の南部地区委員会の専従として、1998年には参議院三重選挙区の候補者として全県を駆け巡り、消費税問題、原発問題も訴えました。

市会議員として当選してから

  1999年のいっせい地方選挙では、松阪の4人目の市議会議員候補として、議案提案権を行使できる議員団の確立を訴え、当選をさせていただきました。

水道料金の引き下げや、介護保険料の減免制度の創設、不要不急の「農と匠の里」の撤回を求めて議案提案権をつかって奮闘してきました。

  議会運営員会の副委員長、総務委員会副委員長、環境福祉副委員長、総務委員長、ゴミ処理特別委員長などを経験して2015年8月の現在5期目です。

ベルファームや駅西再開発などのむだ遣いを追及するとともに、こども貧困問題など就学援助の充実、高い国保税の引き下げや保険証の取り上げ問題、介護保険の保険料、利用料の引き下げに奮闘してきました。幼小中のエアコンの実施のめどもつきました。

バスを走らせる会(現在は、公共交通を考える会)の事務局長として、鈴の音バスを走らせるための運動や、神戸・徳和地域にコミュにテイバスを走らせるために全力をあげてきました。

又長年の高い水道料金引き下げの運動が実り、2010年7月、2015年7月と連続値下げとなりました。

  また、ゴミ処理施設問題では、談合問題の疑惑を追及し、特別委員長として全国で初めての入札方式で公正なルールを作り、100億円の経費削減に行政と力を追わせて導きました。
 さらに市民の生活相談も17年間で5000件以上、山室山小学校や中部中学校のPTAの役員、地元駅部田町金剛自治会の自治会長、花岡地区自治会連合会の役員もつとめ、地元の願いの実現にも奮闘してきました。

介護の母をかかえて

   2010年1月に、父の病気のため、実家の飛騨から母を引き取り、母の介護を妻とみながらの生活をしてました。7月に母を看取り、介護の苦労をしてみえる人の願いを市政に反映し、安心できる介護・医療の実現にもがんばっています。
 また、2012年には、がんの父も飛騨から引き取り、松阪市民病院緩和ケアで看取りました。

現在 市会議員5期目

議会運営副委員長、文教経済常任委員長
松阪・公共交通をかんがえる会事務局長、駅部田町元金剛自治会長
日本共産党松阪市委員
家族:現在、元保育士の妻と次女と同居
趣味:カメラ、登山、コンピューター、音楽鑑賞
住所:松阪市駅部田町988 サンハイム駅部田309
電話 0598−21−7615 生活相談ホットライン 090−3303−0512
Kazuhisa Imai

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