松田千代(まつだ ちよ)

【顔写真】

ごあいさつ

私は、看護師としての経験とケアマネジャーの資格を生かして、医療や福祉・介護の充実と、安心して子育てのできる、歳をとっても障がいがあっても安心して住み続けられる松阪市をつくるために力を尽くしてきました。これからも「お金の心配なしに介護や医療を受けたい」「障がい者・障がい児の相談支援を充実してほしい」「仕事が無い、収入の道が絶たれた。助けてほしい」こんな切実な声を市政に届け願い実現に、暖かい手を差し伸べる松阪市政実現に全力で取りくみます。

住所・連絡先

住所:松阪市川井町1193−1
TEL:0598−26−0390
FAX:0598−26−0390
困りごと相談ホットライン:090-7315−0238

略歴

  • 1951年11月 久居市に生まれる。
    幸小学校・殿町中学校・伊勢女子高校看護科卒業
  • 1972年3月 伊勢高等看護学院卒業
  • 1972年4月から1995年2月まで松阪市民病院勤務
  • 1995年4月 松阪市議会議員初当選
  • 2002年 ケアマネジャー資格取得
  • 2008年 2級愛玩動物飼養管理士取得
  • 現在 市議会議員5期目。議会運営委員会副委員長。環境福祉委員会委員。
    松阪飯多農業共済事務組合議会議員。宮川福祉施設組合議会議員。
    日本共産党中部地区委員会地区委員。

学生時代

  父親が病気がちであったため、小学校時代も中学校時代も、殆んど入院中の父の傍で過ごし、看病してくれる優しい笑顔の看護婦さんに憧れました。中学を卒業後、高校卒業と同時に准看護婦資格が得られる伊勢女子高校に進学しました。卒業後、2年制の高等看護学院に進学。学費を得るため、准看護婦の資格を生かして玉城町の産科医院でアルバイトをしました。

社会人になって

松阪市民病院で22年間、内科・整形外科・小児科・産科病棟などで勤務しました。

先輩から誘われた山歩きやスキーが大好きになり、夜勤が明けると大台や鈴鹿山系、岐阜県や長野県の山々へ出かけ、登山やスキーに明け暮れていました。  

入党を決意

  市民病院で働き始めてまもなく、死が目前に迫ってきているガン末期の患者さんに出会いました。その方は痛み止めの注射が効いているときに、娘さんに“赤旗新聞”や“資本論”を読んでもらうのです。当時のガン患者さんの痛みに苦しむ姿は、大変、辛いものでした。

「注射が効いているときには、少しでも眠ったらいいのに」と言う私に、「身体は病に苦しんでいても、精神は、心は健康なんだよ。人間、死ぬまで勉強」と言って、意識が無くなるその時まで、その姿勢は変わりませんでした。最後まで目標を持って努力するその姿勢に感動し、私も最後まで努力する人生を送りたいと思いました。

主治医から「日本共産党員だよ」と聞き、初めて日本共産党の姿を知りました。その後、その医師から日本共産党のことを教えてもらい、少しでも世の中の役に立つことをしたいと入党しました。

市会議員に立候補・・そして、議員になって

  市民病院で働く中で、市内の准看護学校へ講師として派遣されました。

学生たちは、市内の病院や医院で早朝や夕方・夜間働き、昼間の一定時間、准看護婦の資格を得るために通学していました。2年間で准看護婦の資格を得ますが、看護婦の資格を得ようと思えば看護学校へ行かなければなりません。しかし、市内には看護学校が設置されていませんでした。

  「看護学校を市内につくってほしい」共産党の市会議員さんにお願いしました。「自分で言うのが一番、説得力がある。実現するよう頑張れ」と背中を押され、市会議員に立候補しました。当選後、最初の仕事として議会で現状を訴え、3年生レギュラーコースの看護学校へ切り替えていこうと提案し、医師会の協力も得て2年後に実現することができました。

これからも、医療現場で働く方々と力を合わせて、市民の命を守り、くらしを守る市政実現に全力で取りくみます。

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